第1章

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六月、梅雨に入っても彼は変わらず、湿気をまとって店内に入り、顔見知りとなった一握りの常連と話すか、店長と話すか、ひとりグラスを傾けるか。そして七月、羽山詩織がバーテンダーとして店に勤めるようになり、亜澄と親しくなろうとし。 今は八月。 その間、亜澄と目が合った経験なんて最初の一度しかない。 「店長の、勘違い、じゃないですか。アイツ、だって、俺の事気にする素振りも――」  視線をあちこちに飛ばしながら、表情だけ凍ったように話す晶に、店長は力強く否定した。 「君に見せていなかっただけだよ。永井くんは君を探してこの店に辿り着いた、と最初に私に言ったんだ。地元の人が君らしい少年をこの辺りで見たと聞きつけてね」  少年、という店長の言葉に、場違いだと思いながらも笑ってしまった。  そうだ、自分は、家出して以来ずっとお世話になっているこの人にも、重大な嘘をつき続けている。 そんな晶の笑みをどう解釈したのか、店長は心配そうな声音で続ける。 「どういう理由で彼と仲違いしたかは聞かないけれど、あんなに気遣ってくれる友達はそうはいないよ。出来れば、彼を頼ればいい――話す限り、彼は聡明な若者だ。私も君の力になりたいけれど、その様子では、君は私に頼ろうとなんてしないだろうしね」  最後に、寂しげな笑みを浮かべて、店長は去っていった。  晶は、中途半端に着替えの手を止めたまま、ロッカーに背を預け、そのままずるずると座り込んだ。  店長に、頼りたくない訳が無い。  あの仕事とプライベートを混合している羽山詩織を解雇してくれと、そう言えばいい。  けれど、羽山詩織はオーナーの姪で、店長は、あくまで雇われている身だ。 一従業員の個人的な意見で、彼女を解雇できる筈が無い。  亜澄。  晶は頭を抱えて蹲った。  亜澄、答えは簡単なんだ。  彼女を、羽山詩織を、一度でも拒否してくれたら、俺はもうそれで充分なんだよ。  そうすれば、この畸形な身体と心で生まれた大嘘つきは、これまで通り、お前への想いを封印できるんだ。 デート、という単語を耳が拾ったのは、偶然なのか、必然なのか、自分でもよく分からない。店長の忠告を受け深酒はやめたものの、まだ、頭は混乱している。カウンターに出てはいても接客に集中出来ず、受け答えはから回るばかり。  それでも、必死に耳を済ませて聞こうとしてしまう、奥の席の会話。  羽山詩織と、亜澄の会話。
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