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がやがやと客の立てる貧相な笑い声に混じって、自分の名が耳障りな声で繰り返し呼ばれている。
「おい、百目鬼! 聞いてんのかって言ってんだろ!」
百目鬼(どうめき)樹(いつき)はシンクに浸け置いたグラスを洗う作業を一時中断すると、足元に叩きつけられた箒を睨め付けた。
見慣れたバイト先の床と持ち主の重みに耐えかねて先が曲がってしまった箒。
巻き添えを食らったポリエステルの毛先に絡みついている綿埃にも何となく同情した。
「あ、聞いてます」
自分より少し高い位置にあるダルマのような顔を見上げながら、手探りでノズルを捻り水の流れを止めた。
己の平然とした態度が男の癇(かん)に障っていることは明白で、彼が一日に一度はこうして何か吹っ掛けないと気がすまないらしいことも充分に承知していた。
一日一善ならぬ一日一悪。
彼も大変なのだなあと憐れむことを忘れない。
縦にも横にもデカい男は団子鼻に二つある空気口を押し広げる。
後輩に浴びせる言葉を選びながら、それを吐き出すために空気を肺に溜めているのだろう。
剃り上げられなかった髭が、首なのか顎なのか見極めづらい場所で飛び出たり引っ込んだりしている。
そこよりもう少し上の方がパックリと割れ、耳障りな音を連続的に発する。彼の御口は粘着質な音をたてるのが好きだ。
「何やってんだよボーっとすんなよな。何度俺に名前呼ばせりゃ気が済むんだよ。ああん?お前がそうやってちんたらやってる間も俺と同じ額給料出てんだぞ、舐めてんのか」
驚いた。
まるで自分が給料相応の働きをしているみたいだ。
自分こそ口ん中に飴玉何個も転がしているような顔してるというのに、何言ってんだか。
ここで何か言い返したものならば、更に彼のショーは勢いを増してアンコール三十回くらい繰り返すことだろう。
適当な相槌を打って流すに限る。
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