0人が本棚に入れています
本棚に追加
「律先生が花壇で育てていたひまわりだよ。そろそろ水をやらないといけなくて……」
懐かしい物でも見るように、兄様が虚空をみつめて微笑みを浮かべている。
珍しい。
本当に珍しい笑い方だった。
「また、あのおてんこ娘ですか……」
「おてんこ娘?」
驚いた声。
「あのね……私、兄様どんなことでも――たとえ私に、あんなことやそんなことをしようとしても許しますが。あの娘だけは――」
「萌?」
本当に驚いている声がしている。
「なんです?」
「誰のこと?」
「なにがですか?」
「おてんこ娘って誰?」
2人とも、疑問符ばかり浮かべて要領を得ない。
新手の冗談かとも思ったが、兄様がこの手のしつこい冗談を言うことは……。
背筋に寒気が走った。
「まさか……」
「なぁ萌、いったい誰のこと言ってるんだ?」
その目に偽りの光はない。
私は泣きたいのを堪えて、兄様の顔を見つめた。
「白河さやか」
「え?」
「白河さやか」
繰り返す。
それでも目の色の変化はない。
「白河……律先生と同じ名字だね。いったい誰のことかな」
兄様はやさしい笑みを浮かべている。
「…………」
「萌? お前顔色が悪いぞ……ちょっと医者に診てもらった方がいいぞ」
背中をさする手。
痛むであろう、お腹を押さえていた兄様の手が、背中をさすってくれている。
「ごめんなさい……」
「あ! お、おい萌、大丈夫か!?」
唐突にこぼれてきた涙。
それに驚きながら、公衆の面前でも兄様が肩を抱いてくれる。
温かい。
なんで流れるの?
これが欲しかったんでしょ?
それでも、涙が止まらなかった。
口からは謝罪の言葉だけがこぼれ落ちた。
「ごめんなさい……」
空からは雪が降ってきた。
そして、石段から赤い人影が現れた。
赤い人。
赤い人。
赤い人。
少女は――私は、涙でもう赤い色しか認識できなくなってしまった人影を見つめていた。
「萌……」
ぎゅっ、と人影が私を抱きしめた。
その温かさが、匂いが、心が、私をしっかりと抱きしめてくれた。
「兄様……」
「大丈夫だから……大丈夫」
家を抜け出したことには触れず、ただ、大丈夫と背中を叩き続けてくれた。
………………。
………………。
……。
涙が止まると、世界は白い雪に覆われていた。
最初のコメントを投稿しよう!