Deadman's midnight

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 幽霊が見える。そう言ったら多くの人に馬鹿にされた。そんな非科学的なものは存在しないと。  春美に言ったら、マジで? と顔を青くして返された。僕が真顔で言うものだから割と信じたらしい。  親に言ったことはない。でも耳には届いているようだった。一時期妙に心配そうな顔をしていた母を覚えている。頭がおかしくなったと思われていたのかもしれない。父は気にしていなかった模様。  最初にそれを感じたと認識した時、僕はそれを形容する言葉を知らなかったはずだ。しばらくして幽霊という存在を知ったから幽霊という言葉で形容した。またしばらくして「幽霊が見える」という言葉は正しくないと思うようになった。心霊現象と呼ばれるもののストーリーの中に僕が感じていたものに似ているものが多々あって、また墓とか木陰とかに白装束で佇む影というステレオタイプをメディアで見たりしたからそう言ってしまったのだろう。致命的な間違いだと思う。  幽霊を感じる、と次はそう表現した。  特に変化はなかった。  今度は「幽霊」という言葉に疑問を抱くようになった。  多くのストーリーでは、幽霊に意思があるように聞こえた。誰かを恨んでいたり、誰かに会いたかったり、そういった意思に従って動いている。干渉してくるのだ。  確かに墓とかに行くと幽霊をよく感じた。幽霊を感じたと思ったら昔そこで誰かが自殺したとかあった。だけどそれらは別に僕を呪ったりしているようのには思えなかった。気分が悪くなることはなかった。いわゆる「幽霊」というやつと僕が感じるそれは乖離しているように思えた。  だけど僕が感じるそれは人の死に関わっていることは確かだったから幽霊が近いとも思っていた。意思はなくとも、喜怒哀楽はありそうだった。それは極めて静的な喜怒哀楽だと思う。状況によって変化しても、時間によって変化することはない。少なくとも僕が観測する中ではそうだった。坊さんが念仏を唱えていてその間は幽霊の状態が変わっていたとしても、念仏が終わったら元の状態に戻る。Aの後にBがあったからこう感じる、ということはなくAはAとして、BはBとして処理される。状態は保存されない。
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