第1章  暁の天使

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 海上の不夜城パンセレーノス市のシティゲートブリッジを渡り、陸地の市外に出ると対向車はめっきり少なくなった。アナトレータウンへ向かう車は、ほとんど無い。暗闇の行く手、カーブするたびにヘッドライトが照らし出す冬枯れの木立。もうすぐ雪の季節。 「眠い……」 高瀬東吾(たかせ とうご)は、ナビ画面の時刻を確かめた。午前3時27分。いつもならベッドに潜り込んでいる時間だ。  パンセレーノス、古代ギリシア語で「満月」の名を持つこの街は、湾内の人工島。その街のハウスメーカーで設計士をしている東吾は、残業に次ぐ残業の毎日だ。大抵は午前1時過ぎてから帰宅の途につくのだが、休日前だというのに、この日はクライアントの都合で休み返上で出勤する営業の越智 葵(おち あおい)の為に図面を仕上げての帰途だった。 残業をぼやいてもいられない。東吾がタイムカードを押した時、越智は交渉の段取りを練っていて帰る様子もないのだから。  越智に限った事ではない。 東吾が帰り支度を始める頃、営業部はようやくデスクワークに取り組む。それまでは、銀行での融資交渉、建設地の調査で市役所、法務局など各方面への訪問、新規顧客の開拓、進行中の案件の打ち合わせ、各業者との交渉や接待が終わっての帰社が真夜中だ。それから進捗報告などのデスクワークをこなす。  そして、朝8時前、建築現場で作業確認をして出社する。そんな激務が毎日の営業職に比べれば、東吾はマシだ。  だから、2年前に東吾がこの会社に再就職した時にいた営業の半数が入れ替わっている。そんな退職者の中に、肉体的・精神的に追い詰められた者を幾人も見ていると、同情以上の感慨を持ってしまう。  「天職」と思った仕事を辞さねばならない、それは、かつての東吾の身の上に起きた事だった。その事は「忘れるしかない過去」、そう気持ちに区切りはついているはずなのに……。   「畜生、だめだ!」  3時35分。 自宅まであと10分の道程だが、瞼がくっつきそうだ。  東吾は照明が明々と灯るコンビニに寄るためハンドルを切った。店の前に駐車すると、周辺の山も谷も区別がつかない闇の空間に、店の照明は異様と言えるほど明るくて、頭の奥までチカチカした。  苦いコーヒーを飲んで、目を覚まさなきゃ、な。
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