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~~~ 毎朝、鏡を見る度、自分の疲れた顔に、うんざりするんだ。
昼も夜も働き通しで、目的を失ってしまってる。 ~~~
「参ったな」
3月。
朝の厳しさが和らぎ始めた。明るい朝日が差し込む洗面所で、東吾は冷水で顔を洗った。
それでも、目の奥は熱く充血している。
全身のだるさが全く回復さてれない目覚めだ。
まるっきり歌の通りだ、と鏡から顔を背けた。
左手の薬指を見ながら呟いた。
~~~ ああ、誰か。僕に愛する人を見つけてくれ ~~~
「somebody to love か……」
普段は指と同化している僅かな膨らみだが、顔を洗う時にだけ皮膚にその感触を感じる。それが、朝の「喝」みたいなものだ。
『東吾くん、今日も元気だしていこうよ、私は側にいるわ』
そんな風に祥子の声が聞こえてくるのだ。
朝の身支度を終え、ダイニングに向かう前に仏壇に手を合わせた。絵美理と美羽が供えた線香が、辺りを静謐に浄化している。
その引き締まった空気の中で、毎朝、祥子が優しい笑顔で東吾を待っていてくれる。結婚指輪の片割れも、小さな箱の中で輝きを失わないまま静かに眠っている筈だ。
「おはよう、祥子」
だが、今朝の東吾は真っ直ぐに妻の遺影を見ることが出来ず、視線を畳に落とした。
「なあ、祥子。俺、夢で、」
語りかけて止めた。何を言おうとしたのか、自分で判らなくなったからだ。
食卓では、美羽が廊下を歩いてくる父を首を伸ばして待っていた。
「おはよう、お父さん」
毎朝、娘の明るい笑顔と弾んだ声に救われる。
「おはよう、今日はお父さんが送って行ってあげようか?」
「いいよ、友達と一緒だもん」
絵美理が東吾の着席に合わせて味噌汁を配膳し、三人の朝食が始まった。いただきますと言った東吾を覗き込んだ美羽が、期待いっぱいの大きい目を見開いて尋ねた。
「ねえ、お父さん。葵ちゃんに聞いてくれた?」
あっ!
箸を運んだ矢先で口が開いたままの東吾を、美羽がじぃーっと見つめている。
美羽は東吾に託して、バレンタインディーの手作りチョコクッキーを越智にプレゼントした。越智から、お返しに何がいい? と訊かれて、東吾を交えた三人で遊園地に行きたい、と美羽は言った。
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