第4章  左手の指輪  

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「こんなコンペがあるんだけど、チャレンジしてみない?」  夜の設計室に越智がやって来て、開口一番に東吾に資料を渡した。パソコンの前から椅子を引いた東吾が、封筒から書類を引き出して読んだ。 「何だって……、地方都市再生化で駅周辺の再構築?」 「つまり、寂れちゃった町が駅を中心に再興したいってこと。個人住宅とは違って広い範囲をプロデュースできるの」  言いながら、越智がパソコンディスクに腰を掛けた。 「それを、俺が? 無理だよ」  東吾は両手を上げて、お手上げのポーズをした。 「まだ早い? それとも興味ない?」 「早いに決まってんだろ、たかだか2年だぜ」 「でも、高瀬さん、こういうことドンドンやったらいい。発想の訓練になる」 「そりゃそうだけど……」 「サラリーマン設計士のままでいい?」  越智がたたみ掛けた。 「いや、わかんないよ。……先の事なんか」  越智の落胆がその眉の動きで知れたが、東吾は封筒を返そうと突き出した。それを横払いにして、越智は踵を返した。 「私にこそ不要よ」 「越智」  東吾が呼び止めると、すぐに振り向いた。 「実は、ブルーノの事なんだが……」 越智は一瞬当てが外れた顔つきになったが、すぐに真面目な面持ちで東吾を見つめ返した。越智が言いたい言は、予想がついている。  おせっかいなのは、分かっている。 でも、もし、……。 「やつ、本気なんだ。お前の事」 「もう、誤魔化してばかりじゃいられないってことね」  越智は、すまなそうに視線を落とした。 ブルーノとは、祥子の葬儀で初めて会った。それから、時々、東吾を交えて三人で飲んだ事もある。  ブルーノの好みは肉感的な女性だったし、越智はたいていの男性からは同性扱いで色恋沙汰は、まず、ない。  だから。 彼が自分に好意を持ち始めたのを知ってから、あまり親密にならないようにしてきたつもりだ。  なのに。  ブルーノがやっと大人になったんだろう、なんて東吾がちょっと嬉しそうに話すのを聞きながら越智は息苦しい。  
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