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ルシアンは、すぐに戻って来た。熱いコーヒーを二つと上着をかかえて。
「落としてから時間たっているので、無料でいいそうです」
「それは、有難い」
あちち、と言いながら受け取った東吾を見つめたルシアンは少し唇をかんだ後、思い切ったように言った。
「休憩を貰ってきました。ご一緒させてくれませんか?」
東吾は、突然の申し出に戸惑いはしたが、まだ外は寒い。ルシアンを立たせておく方が目覚めが悪い気がした。
「どうぞ、奇麗なとこじゃないけど」
助手席のロックを解除したのを合図にルシアンがそちらに向かうと、体を伸ばしてドアを開けた。
ルシアンは、お邪魔しますと礼儀正しい。
年を取った証拠だ。素直で清楚な若者が眩しいなんて、と東吾は大きな溜息をついた。
「なんだか、心配掛けたみたいだね」
制服を脱いできたルシアンが上着を着込みシートに落ち着くと、東吾は謝った。内心、彼との距離が近すぎて落ち着かないのだが。
精一杯、年長の男として振舞おうとする努力を簡単に打ち砕く、天使の笑顔が車内を照らす勢いだ。
「仕事、大変そうですね」
「君だって、深夜のバイトは大変だろう。若いから、まだ、もつけど」
俺は最近、徹夜がきつい。以前は平気だったのに。歳かね、と東吾は笑った。
「奥さんに怒られませんか?」
ルシアンは訊いてから、コーヒーを飲み込んだ。ゴクリと思いの外、しっかりとした音が車内に響いた。
「奥さん、いないんだ。3年前に病気で、ね」
東吾はルシアンを見ずに、フロントガラスの向こうを見つめながら答えた。将来がある若者にどんな顔をして言えばいいのか、判らなかったからだ。
「すみません」
ルシアンも前を向いたままで、頭を下げた。
「いや、指輪みれば、ね。誰だってそう思うさ。もうすぐ小学2年生の娘がいるんだ」
「お父さん、なんですね」
ああ、可愛いぜ、と東吾の顔が緩んだのを見て、ルシアンも微笑を取り戻した。
「君は大学生? 深夜のバイトなんて似合わない感じだけど?」
「小さい時に両親が他界したので、残してくれたもので生活してます」
「え!? ……それは」
迂闊な質問だったと、東吾が後悔したのを読み取ったルシアンは東吾の同情を拒むように付け加えた。
「ご心配なく。後見役と言うか、両親の友人だった人に面倒見て貰ってます」
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