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「えっと、まぁ、一応、俺もそれくらい経験しているし……」
「でも、あんまり迷ったりしなかったんじゃありませんか?」
ルシアンが、なんだか楽しそうに訊いて来たので、東吾も舌が滑らかになった。
「実は、……猪突猛進型。ガキの頃から決めてたから」
ストライカーとしてヨーロッパのクラブチームで活躍する、それが『最終的な夢』だった。現実は、地元の弱小チームで冴えないまま引退だ。
「夢、叶えたんですね」
なのに、何も知らないルシアンが輝く笑顔を向けてくるから、東吾は視線を逸らさないわけにはいかない。
毎日、残業ばっかりの今の仕事を『ガキの頃からの夢』と勘違いさせたままで済ませてしまって構わない。別に、そんなに親しくなる間柄じゃないさ。
欠けたところなんか、まるっきり無い人生なんだろうな。明るい将来しかないんだ。ズタボロな俺の半生語った所で、彼のプラスになる事があるわけないし。
いや、違う。
そんなきれいごとじゃないんだ。
東吾は、やっと、気付いた。
惨めな自分を知られたくない、それが、理由だ。眩しい将来があるルシアンに怯えてしまうのは、彼に自分の恥部を見られたくないんだ。
何だよ。ちいせぇな、俺……。
自分にガッカリだ、と東吾は目を閉じた。そうすれば、ルシアンの視界からも負け犬な自分が消えてくれる気がした。
ガサゴソとルシアンが動いた気配があった。
そして、伺うような控えめな言葉が、東吾の目を開かせた。
「一度だけ、観み行った事あるんですよ」
えっ?
ルシアンは、名刺ほどの小さなカードを差し出していた。それが何なのか、東吾には暗い車内でも、はっきり分かった。
驚いてカードから視線が動かせない東吾に、ルシアンは、興奮を抑えながら、それでも徐々に弾んだ声が早口になっていく。
「カードなら買ってもいいって、父から許可が出て、真っ先に手に入れました」
まさか? 嘘、だろ?
「その試合、あなたが2点ゴールしてアナトレーが圧勝したんです」
そんな事、あった、そういえば……。あれは、海外遠征だったか。
ゆっくりと顔を上げた東吾を、ルシアンの憧れに満ちた輝く笑顔が迎えた。
「あなたから貰ったサイン、です」
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