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椅子から立ち上がった越智の背中から、スイッチを入れたパソコン画面に視線を移しても、目はひきつった火傷痕を見ている気がする。
馬鹿野郎、と拳で額を叩いた。でも、ちっとも痛くない。越智の気持ちを考えたら、自分の浅はかさに嫌気がする。
親友のブルーノとの仲を取り持つつもりで焼いたおせっかいが、越智を追い込んだ。
そのせいで、ぎくしゃくしたら……。
だか、東吾の杞憂だったのか彼女の方は何事もなかったように接してくれている。ほっとすると同時に、越智の精神力の強さに驚嘆する。
あの夜、桜井への贖罪に苦しむ彼女の、震える肩に触れた。それが、東吾にとっては精一杯の行為だったが、もし、越智の方から胸を借りたいと言ってくれれば、抱き締めてやりたかった。
『泣いちまえば、少し楽になる』
だが、越智は凛とした声音で、東吾の思惑を突っ撥ねたのだ。
『こんな事で泣くくらいなら、この道を選ばない』
全身の火傷跡を鎧として生きていく。
そして、死をもっての献身にさえ揺らぐ事のない愛を、真の恋人に捧げる道を歩いていく。そう貫いて生きてきた越智の孤高さに東吾は圧倒された。
しかし、それが彼女の本当の幸せなのか。東吾は即座に同意しかねた。だから、
『そこまで、自分を苛めるな、追い込むな』と、言った。そんな東吾の心配顔を振り向く事無く越智は言った。
『夜叉よ、私は』
白い朝日が差し込むオフィスは、あの時とは全く別の世界のようだ。そして、光の中でミルクティーを淹れる背中も別人だったらいいのにと東吾は思いながら言った。
「越智。この間のコンペ、挑戦してみるよ」
即座に、振り向いた越智はまじまじと東吾を見据えてきた。どういうわけか東吾は、越智のこの視線には弱い。男と女、ではない。どちらかというと、男同士が相手の器量を推し量っている視線だ。ブルーノのような野郎相手なら負けないのになと東吾は戸惑いを隠すのに精一杯だ。
越智はソーサーにカップを丁寧に載せて東吾に手渡した。
「フィールドには戻らない?」
「美羽を一番に考えるって決めたんだ、あの時」
東吾は、カップから匂い立つ芳香を吸い込んで一口飲んだ。うまかった。素直に褒めようとした矢先に、越智が訊いてきた。
「美羽ちゃんを守る事が、設計士を続ける事っていうわけ?」
「ああ」
「高瀬さん個人の夢と、それは一致してる?」
「ああ」
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