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初めは誰も気に留めなかった。
だが、すぐに人々は気づいた。まず戸棚の瓶が音を鳴らして動き、それから天井に溜まりに溜まった砂埃が舞い落ちてきた。
何人かの行商人は自分の売り物が台から滑り落ちるのをやっきになって直そうとし、通りの隅にうずくまる物乞いはせっかく手に入れた銅貨が手から零れ落ちたのを不思議そうに眺めた。
その“揺れ”は大きくなった。はじめは水が屋根から落ちるように規則正しく、やがて気まぐれな通り雨のように激しく。
街の至る所で、多くの人が身震いした。まるで全身を小さな針で突かれているような、気味の悪い悪寒。
塔の見張り台に立つ兵が柵をつかんで身を乗り出した。目を見開き、大きく呼吸をする彼の姿を見て、人々はついに察した。
地面が震えた。
いや、街ごと動いたように感じた。これは気のせいなんかじゃない。
巨人が地面を踏み鳴らすように足元が揺れ、その揺れは断続的に続いている。
あいつが来たんだ。
そう、おぞましき恐怖の権化……
「魔王が来たぞおおおおおおおおおおおっ!」
塔の見張り台に立つ番兵が大声で叫んだ。
街に警鐘を鳴らし、任務を全うする兵士の鑑。だが彼も死んだ。
巨大な黒い炎のようなものが塔にぶつかり、轟音をまき散らしながら炎上。その番兵ごと飲み込んでしまったのだ。
悲鳴が滝のように流れだし、通りは大混乱に陥った。子どもが泣き叫び、老人が背中を踏まれて悲鳴をあげる。だが逃げることしか頭にない群衆に、他者を気づかう余裕などない。
黒い影が街の上空に現われる。人の形のようにも見えるそれは、腕を振って小さな黒い炎を飛ばす。
炎に触れた途端、建物も、地面も、爆ぜた。城と言っても差し支えない金持ちの建築物は、ほんの一瞬で燃え盛る無数の破片へと変わった。
黒い影はさらに炎を投げる。どこか笑い声のようなものが聞こえ、同時に爆音が聞こえ、建物が、命が、一瞬で失われた。
それを見上げていたオレの心に浮かんだのは、ただただ強い怒りだった。
「行くぞ!」
背後に付き従う部下たちに号令をかける。
「おおおおっ!」
部下たちは声を一つにし、威勢よく応えてくれた。彼らはオレと共に厳しい訓練を乗り越えてきた戦士たちだった。
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