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きっと今日もあの人は来ない。そんなことはういこにも痛いほどわかっていた。
それに、私はあの人の妾でも恋人でもない。ただあの人の気が向いた時だけに、あの人はここへやってきて夕餉を共にする。ただそれだけ。
私とあの人の間にはそれだけの間柄しか無い。期待しすぎれば、きっとあとから自分が傷つく事になる。
斎藤さんと私は、単なる夕餉友達というだけの関係。
初依子はそう自分を言いくるめるように、台所のまな板の上ででネギを刻みだした。
じゃあ、なぜ私はあの人と、時間を過ごそうとするのだろうか。
その訳は、自分でも嫌になる位に承知していた。考えたくない。
そして気がつけば、初依子は包丁の先で微かに指を切っていた。
「痛っ。」
ほら、あの人の事を考えすぎれば、私はこうして傷ついてしまう。
包丁を静かにまな板の上に置き、人差し指の腹に微かに出来た血玉を舌で舐めると、まな板の上にある白い布巾で、初依子はそっと指を拭った。
真っ新な布の上に微かに広がった染みは、まるで初依子の心の行きどころを探るかのように赤い。
だめだめ、こんなんじゃ 私は一体何をやっているのだろう。
初依子は独り取り留めの無い思案に暮れる自分自身にやるせないおかしさを感じながら、いそいそと夕餉の支度を進めた。
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