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疾走する足の裏が、緩やかな傾斜を感じなくなった事を確認すると、彼は倒れる様にして停止する。尤も、実際に倒れたわけでは無い。足をつっかえ棒にして、無理矢理其の運動を静止させていた。
両膝に手を突いて、荒い息を必死で整える。酸素と放熱を目的に、犬の様に舌が垂れ下がる。其処からは無秩序な唾液が糸を引く様に一筋落ちる。其れを彼は腕で拭うと彼女がいるであろう正面へと、顔を上げた。
其処は、敢えて言うのであれば展望台であった。丘の頂は拓けていて、灰白色の岩が所々に突き出している。其の辺縁は簡素な柵で覆われていた。しかし其れだけ。其処は東屋も何も無い。ぶっきら棒な場所。
火照った身体に、遮るものの何も無い風が吹く。残暑の延長線上にある様な其れは、当然冷たいはずも無かったのだが、体温が揮発の反応によって低下した為、彼は肌寒さを覚えた。だからであろうか、彼は其の空間に、言い知れぬ寂寞を感じ取っていた。
見れば彼女は柵をそっと掴んだまま、展望台から見える月をただ陶然と眺めている様だった。其の背中は随分と小さい。そして月明かりの逆光になっていて、何を考えているのかが全く分からない。例えるのであれば、影絵を見る様な心地。声を掛ける事すら躊躇われる。
否――今彼女と同じ思いを共有するには、音声による伝達手段等、無粋極まるものとも言えた。
先秦代の古人曰く。書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。
言葉と言うのは皆、何かしらの欠落を抱えるものだ。伝達の過程で、真意の細目が損なわれる。いつだって、本当に大切な事は其処にあるのに。
故に寄り添って同じものを見る事。同じ事を感じる事。其れこそが、真なる伝達であると、そう言う事が出来る。
彼女の横はちょうど誂えた様に、一人分の空間が空いていた。水を半紙に垂らした時の様に、其処に行くのは必然じみて思われた。
彼は、弾む息を押さえ込むと、足音を立てない様に静かに歩いて、彼女の横に立つ事にした。
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