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二人は、丘を登っていた。
木で階段を設けた緩やかな斜面を、無言で一定のリスムを保ったまま、登っていた。足音と弾んだ呼吸音と虫の音しか其処には無い。彼我の話す事等数十分乗った、名前しか分からない様な路線を走る電車の中で、当に払底してしまっていた。
着いた其処は、彼女の家の近くにあると言う、名前の無い小さな丘で、何でも、穴場なのだそうだ。確かに、彼と彼女以外人の気配は全く存在していなかった。穴場と言うよりは、穴なのでは無いかと思う程に。
日はすっかり落ちていて、足下は辛うじてでしか見えていない。勝手知ったる足取りで彼女が先行し、彼は其の背を見ながら、途中のコンビニで買った夕食とアルコールを持って後続していた。
汗ばんだ白無地のシャツが、ほんの少し貼りついている。飾り気が無いデザインのヘアゴムで二つに束ねられた彼女の黒髪は、彼女の歩みと共に上下左右にゆらゆらと揺れる。
残暑はまだまだしつこいし、此の丘は些か湿度が高いように感じられる。ビニールを引っ掛けていない方の腕で、額に浮かぶ玉の汗を拭いながら、そんな彼女の背中とうなじを、彼はぼんやりと見ていた。
そしてそう言えば、彼女をこうして後ろから見るのは、実は初めての事ではなかろうか、と思い至った。
思えば、講義中もそうであったし、其れ以外も、そうであった。彼女はいつも彼の後ろにいた。少なくとも、彼の視界にはいなかった気がする。
其れなのに彼女の顔が、自らの記憶の中にあるのは、人付き合い以外の要因も確かにあるのであろう。もっと言えば、彼が彼女の事を追いかけていたのだ、無意識に。
そうやって、漸く捉えた彼女の顔は、いつだってニュアンスの差はあれど、笑っていた。笑顔だった。笑顔の素敵な女性に、男と言うのは遍く弱い。
だから、こうして後ろ姿を見ていると、今彼女は笑っているのであろうか、と危惧してしまう。笑っているといいな、と思ってしまう。少しだけストーカじみてて気持ち悪いから、口に出す事はしないのだけれど。
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