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「馬子にも衣装だな」
チャペルの扉が開き、内側に控えていた父が、
一瞬顔を歪ませ、目を逸らしてそう言った。
「お父ちゃんはタキシードに着られてるじゃん」
私も負けじと返す。
「つべこべ言ってねぇで、ほら、手ぇ貸せ」
「まともにエスコートしてよね」
転びそうな高いヒールを一足、一足、動かし。
私は父の肘につかまり、
祭壇まで続く赤いヴァージンロードに踏み出した。
母は早逝したけれど、寂しいと思ったことはなかった。
父はお調子者で、いつもしつこく私にかまってきたから。
長い黒髪のかつらにスカートにエプロンで、たびたび私の学校帰りを待っていた。
「実樹、ママよ~」
野太い声で抱きしめられ頬ずりされて、目を点にしながら、私はようやく我に返る。
「お父ちゃん、おヒゲ痛い」
「おっ、やっぱり痛いか?
お母ちゃんの格好してもコレだけはなあ」
そう言いながらも頬ずりをやめない父に、いつも私は最後通告するのだ。
「お父ちゃん! やめないと、ほっぺにちゅー、しない!」
「おおっとー! やめる。やめるから、ちゅーな? な?な?」
「おヒゲ刺さりそう」
「刺さらん刺さらん、はい、ちゅー」
「じゃあ、ちゅー」
でも父の無精ヒゲはいつも、チクチクと私の唇を刺す。
「やっぱり痛~い」
「お母ちゃんはヒゲが気持ちいい、って言ってたのになあ」
「ウソだー」
「大人にゃいい感じ……いや、実樹は知らんでいい、ずーっと父ちゃんの実樹な」
父娘としては、仲の良いほうだったと思う。
それでも、10歳を過ぎる頃には自分から父に触れることはなくなり、
専らのコミュニケーションは、軽い口喧嘩だった。
私が「言葉が汚い」だの「口から生まれて来た」だの言われるのは、
みんな父からの遺伝だ。きっとそうだ。
ヴァージンロードの両脇には、少ないながらも参列してくれた人達の顔、顔。
目頭を押さえる明美さんの姿がある。
明美さんは、父の勤める運送会社の経理担当。
私達をなにくれとなく気にかけてくれる、世話好きで鷹揚な姐さんだ。
昨夜も最後の準備を手伝いに来て、ヒゲを剃れだのピシッと盛装しろだのと、さんざん父に注文つけた挙げ句、
綺麗にアイロンした白いハンカチを3枚、父に押しつけた。
涙でグショグショになって1枚じゃ足りないでしょ、と父をからかい、
憤慨する父を尻目に、カラカラと笑って帰って行った、朗らかなひと。
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