最後のキス

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「……お父ちゃんに負けず劣らず、あなたもホント、恥ずかしい」 祭壇の下で、差し出された彼の手に自分の手を重ねながら、 ベールの下からちょっとだけ彼を睨む。 「……」 何も言わず目を逸らすけど、 でも口元をわずかに弛め、私の指をぎゅっと握る彼。 ……もう。憎らしい。 本音を『寡黙』で覆うひと。 本音を『言葉』で覆うひと。 でもそれは、表現のしかたがちょっと違うだけのような気がする。 態度の端々に滲み出る本音の欠片を、私はいつも感じていたから。 お父ちゃん。 私が好きになったひとは、 言葉は上手くないけど、お父ちゃんとよく似てる。 お父ちゃんがトラックの中に作ってくれたゆりかごを、 私はこのひとの中にも、見つけたの。 きっとこれからも、幸せでいられるから。 彼の肘に手を滑り込ませて、私は振り返った。 「お父ちゃんも、さっさと明美さんの尻に敷かれれば?」 「なっななな何言ってんだお前は!」 ほらね。肝心なところでは、覆いがボロボロになるんだから。 最後の、ダメ押し。 こうするって、決めてたの。 私は今父から離したばかりの自分の手を、もう一度父の肩にかけた。 あの頃、空みたいに高いと思った父の頬は、ヒールを履いた今日の私には、簡単に届く。 懐かしいヒゲの感触を思い浮かべて、私は唇を寄せた。 久しぶりのその頬は、シェービングクリームの香りがして、――滑らかだった。 「……スベスベじゃん。 『おヒゲ痛くてイヤ~っ』て言うつもりだったのに」 固まっていた父の目が、急に目まぐるしく動き始めた。 「あああ当たり前だろ! 娘の一世一代の晴れ舞台なんだ、ねね念入りに……」 「うん。……ありがとう、お父ちゃん」 盛装の大嫌いな父が、私のために着てくれたタキシードにも、 そのスベスベの頬にも。 いまだに後部座席にある、あのゆりかごにも。 「これからは明美さんとどうぞ。 たまにはヒゲ剃ったほうが、喜ばれるかもね」 「……余計なお世話だ」 祭壇の前で、彼と並んで頭を垂れる。 神父さまが聖書の一節を読む声だけが流れる、静粛な時間。 もう振り向いたりはしない。でも私は、背中で感じている。 遠去かる、父の靴音。 父が腰を降ろす、椅子の軋み。 父の隣で明美さんが呆れた顔で笑って、バッグの中から、 綺麗にアイロンをかけた真っ白なハンカチを3枚、 きっと取り出している。 Fin.
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