0人が本棚に入れています
本棚に追加
カタツムリのような追走劇が一旦幕間に入る。
暑い。
全身にだらだらと汗が流れていた。新海さんの額にもびっしりと水滴が浮かび、けれど、父さんは涼しげだった。
「あいつも……」
炎天下、氷のような声だった。
「あいつも、同じだったろう?」
新海さんには意味が分からなかったらしい。
台詞を忘れた役者のように、うろたえた顔をした。
同じ。
そう、同じなのだ。
母さんも父さんも、僕に眼を向けていながら、その実、僕を見ていなかった。
いったい、何を見ていたのだろう?
あの視線は、そして目の前のこの視線は、どこに向かっているのだろう?
ビニールのひもを中指に引っかけた。
気取られないよう、慎重に。
そして、狙いを定める。
僕は呼びかけた。
「新海さん」
「え?」
不意にスポットライトを浴びせられ、眩しそうな新海さん。
僕はビニール袋を放り投げた。
「パス」
ゆっくりと。いっそ牧歌的とも言うべき放物線を描き、ビニール袋は新海さんの元へ。
「お」
体勢を崩し、それをキャッチしようとする。
それを見僕は――。
――ダッ!
振り向きざまに、地面を思い切り蹴る。
走った。
「あ、ま、待てっ!」
背後からの声に、却って尻に火がついたような気持ち。
とにかく走る。
走る。
後ろから、声が追いすがってくる。
アドバンテージがあるとは言え、体力を考えれば、捕まる可能性が高い。
狭い方、狭い方へと逃げていく。
僕の小さな身体が、新海さんの視界から消えてしまうような場所。
闇雲に見えて、しかし、最善のルートを選択しているという自信はあった。
後は、肺が裂けるまで走るだけ。
走る。
走る。
走る……。
………………。
…………。
……。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
暴風警報が必死に思えるこののどは、僕にはちょっとした新発見だった。
両膝に手をつき、熱い息を全身をふいごしにして吐き出す。鼻の先から、鼻水とも汗ともつかない物が零れ落ちた。
倒れそうだ。ともかく、地べたに腰を下ろす。
下草が柔らかい。
(虫がうるさいな……)
雑木林の中だった。木漏れ日がちらちらと舞い下りてくる。虫の音も。
音と光と汗と、ついでに言えば草いきれにまみれて、僕の身体はがたがたと震えていた。
寒い? とんでもない。
最初のコメントを投稿しよう!