第1章

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 たぶん、疲労だった。  何とか――本当に何とか、振り切れたらしい。  新海さんの声も父さんの声も、聞こえては来ない。  通りを窺うが、人の姿は見当たらなかった。  (助かった……)  何としてでも逃げたかった。今になって帰るなんて、冗談じゃ無かった。  その感覚を何て言えばいいだろう。推理小説で、解決パートを読みそびれるといったところか。  あの陰気な部屋に戻りたくない以上に、この村――名前の無い少女が居るこの村を、離れたくなかったのだ。  「ふう……」  肺を病んだような呼吸が、段々と遠のいていく。  けれど、ここを出る訳にはいかない。下手に出歩けば、また見つかる恐れがある。  そしてもし見つかったら、その時こそ、逃げおおせる自信が無かった。  だから、待たないと。夜まで。この村の夜の暗さだったら、自転車で作った生傷が良く知っていた。  「く……」  我慢が出来ず、身を折って、草の上に丸くなった。  身体から、力が急速に抜けていく……。  ナメクジに塩かな……。  瞼が重い……。  ………………。  …………。  ……。  ざばーん……。  ざばーん……。  繰り返す波の音を聞いている。  耳の脇を通り抜ける風の音を聞いている。  水滴の冷たさを感じている。  海鳴りの轟きを、下草の柔らかさを、そして――。  死んでしまった人の、嘆きを。  それらは、いつも私のすぐ隣にあったものだ。  肩の鳥と一緒になって、私を慰めてくれてきたものたち。  それらに囲まれて、けれど今の私は――、  一向に消える事の無い寂しさを感じている。  視線を持ち上げた。その先には、海鳴りが這い登ってくる崖がある。  歩いて、行こうか?  けれど、まるで腰におもりでも付いてしまったよう。そこまで行く気がしない。  縁に立てば、きっと見えるだろう。  いくつもの顔が。  見てくれるだろう。  いつだったか、彼に言われた事がある。ここは、寂しい場所だと。  寂しい?  いいえ、そんなはずは無い。  無いと思う。  ……そう、思いたい。  ここが寂しいのなら、私はいったいどこに行けばいいのだろう?  けれど。  彼のその言葉の意味が、分かったような気がする。  分かってしまったような、そんな気が。  こんな場所にひとり居て、  私は――。  「戻ってこなかった」  「何が?」
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