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「分かってるくせに」
「知らない」
「嘘」
「え?」
「誰がと言い直すのね」
「…………」
そう、彼は戻ってこなかった。
いったい、どうしてしまったのだろう?
あのまま、どこかへ行ってしまったのだとはとても思えない。買い物に行くと言っていた。
では、何故戻ってこないのか?
「知ってる?」
「何を?」
「彼が、キミを見てなんかいないって事」
「嘘」
「分かってたくせに」
「だって、見えてる」
そう、見えているはず。
会話して、
触れて。
そんな事は、見えているからこそ可能な事。
けれど――。
「……そう、彼の目は、私を通り過ぎている」
「認めるんだ?」
「うん」
「寂しいね」
「うん」
「寂しいのは、いつになっても慣れない」
「…………」
彼は、何をみているのだろう?
その視線は、どこか遠くに向かっていた。
私に向けられ、けれど、私を見ているわけでは無い。
それは、初めから分かっていた。
何故って、それは私も同じ事だから。
私たちは、お互いにお互いの眼を見ながら、その存在は視界に入っていなかったのかもしれない。
何て、寂しい。
ざば~ん……。
ざば~ん……。
私は、繰り返す波の音を聞いている。
耳に脇を通り抜ける風の音を聞いている。
ただ、時間が通り過ぎていく……。
………………。
…………。
……。
(助けて!)
(お父さん!)
(どうして黙って見ているの?)
(どうしてそんな目をしているの!)
――そうね。そうよね。別に、もうあの男を気にする必要は無いんだわ。
――何故って、私にはあの人が居るのだから。
お、お母さん……。
あの人って、誰なの……?
誰よりも大切な人って……。
――そう、あの人は、私の大切な人。けれどね。
お前も大切なのよ。だって……。
――お前は、あの人の生まれ変わりなんですもの。
(生まれ……?)
――だから、お前の中に、あの人が居るのね……。
(ああ……)
(助けて……)
――いい? お前は、あの人なのよ。お前は、お前じゃ無いの。
――お前は、あの人なの。
(あの人……)
(お母さんは、あの人を見ている……)
(僕に……僕の中に……)
お母さんの眼は、だから……。
――ああ、あの人が手を振っている。
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