相剋 稲生合戦(中編)

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 その日の夜、信賢は夜陰に紛れて自ら手兵を率い、清洲城の北にある下之郷に放火して回ったのである。  夜半、早馬の知らせで信長は起こされた。詳細は不明ながら、弾正忠家の領地である下之郷が放火されたという一報だった。続報で、それが織田伊勢守の兵であったことが判明する。  炎は曇天の夜空を焦がし、赤暗い光は清洲城からでも確認出来た。 「伊勢守め、はや美濃の走狗と成り果てたか!」  これまで明確な敵対行動を取って来なかった織田伊勢守家が、ここへ来てこのような動きをする背景は容易に想像がつく。  織田信安の性格上、今になって尾張統一の野望に燃えたとは考え難い。であれば答えは一つ、斎藤義龍に(そそのか)されて旗色を鮮明にした意思表示であろう。  信長も翌日、直ちに馬廻りと共に出陣し、白昼堂々、伊勢守家の知行地に火を放って報復を果たした。  しかしながら、それ以上は岩倉城方面に踏み込むことなく、日が傾く前には清洲城に引き揚げている。  今、上四郡でここ数年無傷を保って来た伊勢守家、しかも美濃の後ろ楯を得たこの尾張守護代家と、全面的に争う訳にはいかなかったからだ。
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