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「お帰りなさいませ」
いつも通りの吉兆の出迎えに、信長は少しほっとした。この穏やかな所作と心遣いが、少なくとも信長に向けられたものだけは本物だろうと信じられるからだ。
その一方で……、と思わせる寒々しい部分も無い訳ではないが。
二人は吉兆の居室に落ち着いた。
「伊勢守が敵に回った」
吉兆が相手なら詳しく説明するまでもない。その信長の言葉は二人にとっては『ただいま』程度の無意味な放言だった。
「討ち滅ぼしましょう」
「ああ、うち……?!」
余りに物静かな物言いだったので、危うく空返事するところだった。
「どうやって?」
吉兆は眩いばかりの微笑を浮かべ、
「私とお姉様が居れば、どうとでも」
と、屈託の無い朗らかな笑顔を信長に向けていた。
まあ、この姉妹ならそうだろう。
考えてみれば聞き返すまでもないことだった。
「まさか吉兆も銭亀で、とか言い出すまいな?」
吉兆は少し驚いた顔をした。
「私のことを、そんな風にお思いなのですか……」
『そんな風』
瑞兆のことをあれぼど敬愛しているように見えて、何か明確な線引きがなされているらしい心の内を、その言葉の刹那に垣間見た気がした。
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