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「どうなさいましたか?」
永禄三年五月十八日払暁。まだ外さえ薄暗い中、ただならぬ絶叫を聞き付けた侍女の各務野が、帰蝶=吉兆の許に駆け付けた。
吉兆は懸命に呼吸を整えようとするが、肩の揺れはなかなか収まらない。
「……悪い夢を見ました。もう、大丈夫です」
しかし言葉とは裏腹に、涙に濡れた顔を歪める様子は、未だ動揺が収まっていないことを示していた。
今川家の大軍が尾張に侵攻して来つつある今、先の絶叫から帰蝶=吉兆がどんな悪夢を見たのかは察しがつく。
各務野は、主が落ち着くまで側で見守った後、朝の諸々の用意の為、一旦退室した。
「見てしまったのですね」
侍女の退室と入れ替わりで、瑞兆が出現した。
「姉様……。見てしまったのかどうか分かりません」
「とはいえ、尋常な夢ではなかったのでしょう?」
瑞兆を見上げる吉兆の顔色は、答えを聞く以前に、全く尋常でないことを物語っていた。
「聞かせてくれますか?」
吉兆は力無く、今朝見た夢の内容を話し始めた。
それから間に朝食を挟み、今朝からの様子を心配した各務野の出入りや、時に泣きじゃくって話を中断させたりして、吉兆が夢の顛末を語り終えたのは、昼前のことだった。
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