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「後ろ乗せてよ」
「やだよ」
乗せろよ、と悪態をつきながら歩くアキの歩幅に合わせて、俺はペダルをゆっくりと漕いだ。あまりに遅いその動きに不安定になる自転車の重心をうまく取って、必然的に蛇行する俺の帰路。
アキは口程にも不服そうでもなく、むしろ楽しげだった。濡れた髪からは微かな塩素の香りがした。いい香りだと思った。
彼女の横顔をちらりと覗き見て、すぐに視線をそらす。意味もなく恥ずかしかった。
「暑い、もう一回プール入りたい」
その訳のわからない動揺を誤魔化すように呟くと、アキは意地悪く、25mも泳げない癖にと笑う。
人間は陸上生物だから、と間髪いれずに俺が言い訳をすると、彼女は笑った。俺の言い訳が可笑しくて仕方がないようだった。
俺は躍起になって如何に俺が陸上では万能かを説いた。脚も速い、サッカーうまい、跳び箱や高跳びは最強、今春の体力テストのシャトルランでは80回まで行ったぞ、と言うように。しかしアキは、それらの俺の自慢と誇りを一蹴するように、それなのにクロールで25mも泳げない、と付け足した。
俺と彼女では、いつでも彼女が一枚上手なのだ。彼女の派手な笑い声に項垂れながら、俺は真夏の帰路を行く。
「なあ」
「何」
「後ろ乗せてよ」
「やだよ」
「意識してんの?」
「はあ?!」
「じゃあ乗せてよ、どうせ家近所やん」
「やだ、絶対にやだ、乗せない」
「じゃあ押す!」
彼女はとびきり楽しげにそういい放つと、俺の自転車の荷台に手をかけて、力一杯それを押した。
「うわっ、なにすんのお前」
急にスピードを増した自転車は大きくバランスを崩し、俺は慌ててその舵をとった。
彼女は悪びれもせず、笑いながら、俺の自転車を押し続ける。じゃあ押す!ってなんだよ、と俺は思っていた。何故そうなるのか全く意味がわからなかった。
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