花ごろも

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剣の修練を終え、その身に纏わんとする汗を流そうと井戸の近くにおられました。お沙世さんから僅かばかり離れたところに、その井戸はありました。 ばしゃんと音がし、お沙世さんは音のする方に振り返りました。 そこには心を奪われた上半身はだけたお姿の義孝さまが、手にした桶を落とされておりました。 そして、お沙世さんは真っ直ぐなお姿にお心を乱されたのでした。 今思えばお二人は出会わなければ良かったのかもしれません。 思い合う二人に、決して未来がないことを出会ったその日に知っていたからです。 若様が使用人であるだたの娘を好きになることは許されず、使用人のただの娘が若様に思いを寄せることなどあってはならないのです。 義孝様とお沙世さんとの身分の隔たりは、天と地ほどあったのでございます。 ゆえに瞳を交わされたお二人が、触れ合うことも言葉を交わされることもありませんでした。お互いの気持ちを確かめ合うこともなさりませんでした。 思うのはいつも心です。 抑えられず遠くから見つめ合うことはなさりましたが、 心の中だけで、自分だけの秘密のように、静かに確実に大きくなる持て余すような熱をお二人は育てられたのです。 一度でも触れてしまうと、離れることが出来なくなることを、そしてそれが全てを不幸にしてしまうことを義孝様もお沙世さんも知っておられました。 ある日、そんなお二人に変化が参りました。 義孝様が奥方様を迎えられる日が来たのです。 そのお方は、もちろんお沙世さんではございません。 高柳家とひけを取らない、どちらかと言うと少しだけ上の立場にあられる方のお嬢様でございました。 お二人の心中に暗い影が圧し掛かり、身を裂くほどの苦痛が襲いました。 お沙世さんには耐えられなかったのです。義孝様のお傍にこれ以上いることが出来なかったのでございます。だから、お沙世さんは郷に帰る決心をなさりました。また義孝様も、お沙世さんがこの屋敷から離れて行くことを薄々感じておられました。 お沙世さんが、屋敷を出られる前の日のことでございます。 その日も梅の木はいくつもの花を付けて、庭の端で佇んでいました。 お二人は香りに導かれるように、梅の木の傍に行かれたのです。
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