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どうして、止めることが出来ましょう。どうやって、惹かれあう二人を引き止めることが出来ましょう。最後に一度だけ近づきたいと思うお二人を世の中が許さなくても、梅の木だけは許してくれたのです。
梅の木に見惚れ微笑まれるお沙世さんの後ろ姿に、初めて若様が声を掛けられました。
「もうすぐ春がくるな」
女人に対して不器用な若様らしい唐突すぎるお言葉でしたが、それがお二人の初めて交わされた言葉でもあったのです。
お沙世さんは動揺する胸を抱え、軽々しく声を掛けることの出来ない若様を前に頭を伏せられました。そして消え入りそうな声で「はい」とだけ答えるのでした。
それでも、義孝様とお沙世さんにとって生まれて初めて知る至福の時だったのでございます。
義孝様はお沙世さんの手を取って、胸に引き寄せたくとも許されず、拳を痛いぐらい強く握りしめられたのです。
まだ冷たさが残る春先の風が二人を包み込みます。
その風の中に混じる梅の香りが、初めて出会ったあの暖かい時をお二人の胸の中に蘇らせました。
義孝様は肩を震わせるお沙世さんを見下ろしながら、再び拳を強く握られ、咲き出した梅の枝先に視線を向けられたのでした。
それで終わりです。
それが、全てです。
今でも、義孝様はこの季節が来ると梅の木の傍に行かれます。何を考えておられるのかは定かではありません。
ただ、梅の香りに導かれた若いお二人の姿が心に焼き付くばかり。
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