3人が本棚に入れています
本棚に追加
ピンク髪の少女は名前を、佐伯紅音という。紅音は少年のサラサラとした黒髪から漂う甘い残り香を、うっとりとした眼で嗅いでいた。
「はあ、不謹慎よね」
こんな狂った世界で、真っ当に思春期の少女らしく、同年代の少年に恋心を抱く自分を、彼女は自嘲気味に笑った。
ここはかつて神奈川県と呼ばれていた場所だ。海の底からやって来たカビの軍団のせいで、地形は大きく変化してしまったが、ここが故郷であることに変わりは無い。だから、ここに住んでいる誰もが、助けを求めて東京に行こうなどとは言い出さなかった。いや、言い出せなかった。何せ、首都である東京が、ここと同じが、それ以上の荒廃ぶりだった時、彼女達は生きる希望を失うだろう。
紅音は察していた。もし、東京が平穏なままならば、どうして助けに来ないのか。この狂った世界で、すでに二週間暮らしているが、自衛隊とかレスキュー隊の姿を見たことも、そんな知らせも無かった。もしかしたら、日本にいる人間は自分達が最後かも知れないという、悲観的な想像すら容易にできた。
「いけない、いけない」
紅音は、自分がいつの間にか先程の少年、川村ヒロと同じように、石段に座り込んでいることに気付いて、急いで立ち上がった。そして尻に付着した砂埃を軽く払うと、奇跡的に形を保っていた、自分達の根城である神社の鳥居を潜った。
神社の中は床や壁が剥がれており、足元が不安定だった。しかし、贅沢は言っていられない。少なくとも今の紅音達にとって、屋根がある建物で暮らせるだけでも、ありがたいと感謝しなければならないのだ。
「あ、竜さん」
紅音はコンビニ袋を片手に立っている、黒いタンクトップ姿の男性に声を掛けた。その男性は鷹の様に鋭い目で、紅音を睨み付けると、すぐに表情を和ませた。
「おお、紅音ちゃんか。びっくりしたぜ。てっきりカビどもかと思った。
竜さんと呼ばれた、その男性は、年齢的に20代前半に見える。少なくとも紅音よりは年上で、職業などは分からなかったが、程よく筋肉の付いた体躯を見るに、只者でないことは一発で理解できる。
「竜さんって。もしかしてヤクザさん?」
「おいおい、止めてくれよ。俺は普通のナイスガイだぜ。ほら、コンビニの棚に缶詰があったんだ」
最初のコメントを投稿しよう!