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翌朝。
目が覚めるなり布団から飛び起きたNさんは、部屋を隅々まで調べた。結果、誰も住んでないはずの103号室側の畳に、爪で引っ掻いたような毛羽立ちが見つかった。まるで、隣の部屋からこちらへ誰かが這い出して来たような……。
それだけを確認するとNさんは、財布といつも持ち歩いているリュックだけを持って部屋から飛び出した。玄関先で、深夜バイトから帰宅したであろう101号室の住人とぶつかりそうになる。
相手はNさんの顔を見るなり、こう言ったと言う。
「……あんた、引越すんなら、早い方がいいぜ」
その足で友人知人を訪ね歩き、両親にも頭を下げて借金し、Nさんはその週のうちに引越しを完了させた。
引越しの当日まで、大学の友人の家を転々としていたらしい。
「俺が引越した時にも、相当、年数の経ってるアパートでしたからねぇ。今じゃもう取り壊されて、ないんじゃないですか」
カウンターの奥で鶏肉を串にさしながら、Nさんは笑ってそう言った。
「Nさんは、その『相手』を見たんですよね? 一体、何が見えたんですか?」
焼酎のグラスを片手に問いかけた私に対して、Nさんは笑顔を引っ込めると
「世の中、知らなくていい事の方が多いんだよ……」
とだけ呟き、それ以降、二度とこの話をしてくれる事はなかった。
─了─
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