赤い雪

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 北海道のとある街で、赤い雪が降っていたのをご存じですか。 昭和の初め、産業が急速に成長し「団塊の世代」、「金の卵」、「第×次ベビーブーム」と言う言葉が、世を賑わせていた頃、この街に赤い雪が降っていた事をご存じでしょうか。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この町は特徴のある形をしておりまして、丁度、右手でコの字を作った形が街の形になり、親指が「絵鞆半島」、親指の第二関節辺りが少し有名な岬、「地球岬(チキウ岬)」、となります。 北海道の函館市と襟裳岬の中間辺りにあり、太平洋側にコの字に突き出ている街、「室蘭市」で赤い雪が降っていたのです。 「赤い雪の正体は」というと、 当時、建設の資材、造船、などの産業に欠かせなかったのが「鉄」、この鉄を生産する為の、大規模な製鉄工場が室蘭市にはありました。溶鉱炉も数基あり、数時間ごとに鉄を炉から出し二十四時間体制、三百六十五日の稼働をしていました。  鉄を作り出すには、鉄鉱石を炉に入れて、石炭を加工したコークスに火を付け、炉の中の温度を数千度に上げ鉄鉱石を溶かし、溶解した鉄を炉から取り出すのです。  数千度に熱せられた鉄鉱石の水分などが、大量の水蒸気と成り、数千度の炉から上昇気流に乗り煙突を通って出ていく際に、鉄の微粒子が一緒に排泄され、比重の重い鉄が近隣に降り、白い雪を赤く染めていました。これが、赤い雪の正体だったのです。  「赤い雪」それは、「経済発展の象徴」誰もが皆、誇りに思っていた時代もありました。今思えば、何か物悲しい「錆びた鉄の色」とも思えます。  数十年経過し、「鉄冷え」という言葉に象徴されるように、徐々に溶鉱炉が閉鎖され、そこで働く人達も街を離れ、何か寂しい街に変化していくのです。
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