麗しの射干玉の

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 もう一度だけ『綺麗だ』って、私の髪を褒めてくれたら。  そうしたら──。  そんな事を考えているうちに、お店に行っても他のスタッフさんが私につくようになった。彼は他のお客さんの相手をしていて、私の方を見る事もなくなってしまった。  ああ、お願い。もう一度でいいから、私に『綺麗だ』って言って! それだけでいいから!!  私は会社の帰り、お店の前で彼が出てくるのを待つようになった。  どうせお店に行っても、彼は私を相手にしてくれない。どうしていいのか分からないうちに、私は彼の行動を追いかけるようになってしまっていた。  追いかけてどうしたい訳でもない。きっとこんな事になってしまって、彼は私を見たら気味悪がるかも知れない。それでも、自分の行動を私は止める事が出来なかった。  生まれて初めて『綺麗だ』って言ってもらえた。それが嬉しかっただけなのに……。  雨の中、気付かれない様に物陰から見つめていると、お店の電気が消えて彼が通りに姿を現した。  何でこんな事をしているんだろう?  そう思いながらも、何度目かになる彼の帰り道を尾行する行動を止められない。  もう一度『綺麗だ』って言ってもらえたら……そうしたら、私は満足するんだろうか? もう一度……もう一度だけ。  この先の路地を曲り、横断歩道を渡ったら、その先のあるマンションが彼の家。3階の左から5番目の部屋。  彼の部屋の前まで行こうとは思わない。それ以前にマンションはオートロックで入れないし。  傘を叩く雨の音を聞きながら足を止める。  彼が横断歩道を渡り終えるのを見届けたら……そうしたら私も帰ろう。  本当に──本当に何をしているんだろう、私。  横断歩道を渡りきった彼の背中が、マンションの入り口に消えていく。  ため息をついて、ぼんやりと自分の考えに沈んでいた私は、背後から近付いて来る黒い、大きな影に気が付かなかった。  重たい衝撃と鈍い音。  手から離れた傘が道路を転がっていく。  あとからやってくる激しい痛み。  息をしようにも、気道が潰れているのか吸う事も吐く事もできない。  ぱくぱくと開閉をくり返す口の中に、泥の混じった雨水が入り込む。  痛みで朦朧とする意識の中、必死で頭を持ち上げる。  体中が急速に冷えていく。  暗くなっていく私の視界に映ったのは……マンションの3階、左から5番目の部屋。  雨が目に入り、よく見えない。
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