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「昨夜、聞いた縁(よすが)ですが、断つには忍びない恩愛で、離れ難い情実だそうです。辞書で調べました」
「ありがとうございます……。人の世は縁で繋がっているのですよね。母は緒方雅宏という恋人に捨てられて、縁を断ち切り父と結婚したのです」
「捨てられた? 美春さんはそんなふうに云っていたのですか」
「父が家を出たのは、母が緒方さんの思い出だけに生きていたからなんです」
「わたしが美春さんと別れたのは、勤めの都合で一緒に住めないことが分かっていたから……」
「うまく丸め込まれて捨てられたと恨んでいました」
まさか恨まれていたとは知らなかった。五十過ぎまで中東の砂漠地帯を転々とし、通信施設建設に従事していた。
当時はまだ携帯電話が普及しているわけでなく、本社との連絡事項すらファクシミリでのやりとりだった。本社に戻ったときはとっくに婚期は過ぎていた。
コーヒーは冷めていた。雅宏の朝食も終わった。後片付けしているとき、加奈子が寄って来て耳元で囁いた。
「おじさんは昨夜、私の裸を見たり触ったりしたでしょう」
その通りだが邪心はなかった。といえば嘘になる。思わず手が出そうになったのも確かだ。
だが、抱かなかった。雅宏としてはよくぞ止まったとほっとしている。芯からの助べぇである。人に言われるまでもなく自認していた。
「おじさんって、本当に女好きですってね。寸時だって目が離せなかったと母が云ってました」
困ったものだ。母親が娘に恋人の助平ぶりを暴露しているとは信じられなかった。逆にいえば何事にも拘らず、あっけらかんとした性格だったのかも知れない。
「私、これからちょくちょくお邪魔してもいいかしら……」
「それはいいが、もう少し暖かくなれば四国八十八ヶ所参り行く予定にしている。それまでならいいよ」
「四国八十八ヶ所参りって? どんな願掛けに行くのですか」
時々、歩き遍路を見たことがある。この先の三叉路から左に行けば二十三番札所薬王寺に至り、右に行けば二十二番札所平等寺だ。
橘からの札所巡りなら、日和佐の薬王寺からスタートした方が効率がいい。十九番札所平等寺から南に行くに遍路がよく通っていた。
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