第1章

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 徳島の住人にしては珍しい。いわば地元といっていい近場に住んでいて、これまでに両親なり祖父母に連れられて来ていないのは、家の宗派が違うのであろうか。  この寺の厄除け祈願は、宗派抜きで祈ってくれるのだが……。  女坂を上がった左に水屋があった。ここで手と口を清めることになっている。手順としてはまず左手、右手と水を掛け、そのあと左手に水を取り口を漱ぐ。そこで柄杓の柄を清めるのだった。  そのあと鐘楼堂に行き鐘を二度突く。寺によっては突けないところもある。早朝などは近隣に配慮して突かないほうがいい。  次は本堂に行き、灯明(ローソク)、線香をあげる(奥から立てるのが礼儀)、お賽銭をあげ、次ぎに納経するのだった。そのあと大師堂へ行き納札を納めた。そこでも手順通り灯明、線香をあげ納経し、納経帳に墨書・御朱印をいただく。  参拝者が列を作っていて三十分ほど掛かった。  ようやく参拝が終わり、雅宏は加奈子の顔を見た。緊張が解れたのか雅宏を見てニコッと笑った。  上品な笑顔だった。若いときの美春を彷彿とさせた。  あの夜の裸体がふっと脳裡に浮かんだ。邪念の囁きに抗しかねない気がする。  おお、南無大師遍照金剛……。  因みに薬王寺の歴史・由来について少し触れておく。  「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場。高野山真言宗の別格本山である。厄除けの寺院としては全国的に知られている。「厄除け橋」を渡って本堂に向かう最初の石段は「女厄坂」といわれる三十三段、続く急勾配の石段「男厄坂」四十二段である。  さらに本堂から「瑜祇塔(ゆぎとう)」までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれる六十一段からなっている。  各石段の下には『薬師本願教』の経文が書かれた小石が埋め込まれていて、参拝者は一段ごとにお賽銭をあげながら登る光景が見られる。  縁起によると聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開創されたとされている。  弘法大師が弘仁六年四十二歳の時、自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除け薬師如来像を彫像して本尊とされた。  境内には吉川英治著『鳴門秘帖』や、司馬遼太郎著『空海の風景』に登場した石碑があった。
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