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「――――……」
市民病院の前を通り過ぎる頃に、病室の窓が一つだけ開いた。
知っている、胸が苦しくなるほどに懐かしい部屋だった。
そこから誰かがこちらを見たような気がした。
小さな窓から乗り出す人影が見えたと思えば、もう私のほうが離れすぎていて、病院はバスの影の向こう側。何も見えなくなった。
そして私はズルズルと上半身をバスの中にしまい込んで、
「……く、くふ。ふっふふ、あはは」
窓枠にしがみついたまま笑った。
指先はまだくすぐったい。
車掌さんが気にしたように私の指先に鼻を近づけてくる。
私は、まだ残った春風の花びらを見た。
一枚目の春風は嵐を呼ぶ。その勢いは贈り物を、どこまでもどこへでも届けてくれる。
二枚目の春風は、私の背中をそっと後押しをしてくれる。
あの春風うりの言葉を思い出すと、私は二枚目の花びらを迷うことなく指先ごと食べた。
車掌さんが残念そうに一声鳴く。
「ジャムにするまでもない味」
私は一言感想を述べて、椅子に深く腰かけるように座りなおした。
「車掌さん。私ね、決めた。次の行き先。先に進む覚悟ができたみたい」
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