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「――た」
声が響き渡った。心地の良い声色だ。しかし、何が何処で何のために何を言ったのかは分からない。そして、自分が何者なのかさえも分からない。視界に映るのは暗闇、流れるは静寂。だから、その声がこの世界で唯一の光だと、救いの手なのだと思えた。
「――かい」
今一度、声が波紋のようにして広がる。俺の肌をなぞり、臓器を刺激する。世界の黒が、静寂が、夜明けの如く消えていく。
世界は終わり、崩れ去る。そして、新たな世界に迎えられる。
そこに居たのは、一人の女の子だった。
「目が覚めたみたいだね」
彼女は俺の顔を覗き込んでいた。あどけない笑顔は太陽のように眩しく、見つめる目は美しい藍色。透き通った水晶のようで、どこまでも引き込まれる。
「……どこか痛むのかい?」
反応を示さない俺を前に、彼女は表情を歪ませる。それが嫌で、悲しくて、胴体を起こし笑顔を作ってみせる。
「いや、何ともない。平気だよ。……それより、ここってどこなんだ?」
そう、目覚めた俺が居たのは未知の土地。辺りを見回してみるが、記憶にある景色と何一つ合致しない。
いつから、俺はここに居たのだろうか。
「うん? ああ、そっかそっか。キミ、見ない顔だと思ったら新人さんだったんだね」
彼女は一瞬、キョトンとした表情を浮かべたかと思うと、何かを悟ったのかニコニコしながら立ち上がる。
「新人……?」
俺はただただ疑問を口に、彼女を見上げることしか出来ない。
彼女はそんな俺を、優しく暖かな眼差しで安心を促してくれる。
「うん、新しく来たから新人さん」
そう言うと、彼女は手を差し伸べ満面の笑みを見せる。
何も分からない世界、何も分からない現状。それでも俺は、差し伸べられた優しい手を取った。
「ようこそ、幸せな世界へ」
幸せな世界。それならば、きっと、俺の知る現実の世界ではない。
――幸せな世界なんて、どこにあろうか。
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