第1章

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 接ぎ木が主流の桜だが、実生の桜は長生きするという。どうか、長生きして欲しい。 「ももは名字で、名前はてんしだ。もしも、黒井が天界に戻ってしまったとしても、てんしは残っているよ」  何百年先でも、待っているよと付け足す。  何百年も続く御形の寺だ、これから先も何百年も続くかもしれない。ここに、知る人が誰も居なくなっても、この桜だけは居てくれる。俺は今、人間として年を重ねているが、本体の天使は、人間よりも長く存在してしまう。その孤独を、御形に知られてしまったのかもしれない。  俺は、誰も居ない庭の片隅で、御形にしがみ付いて、少しだけ泣いてしまった。 「待っていなくていい。俺なんて忘れていい」  でも、俺は覚えている。長い年月で、忘れる事なんてない。孤独がよぎり、必死でしがみつくと、御形が背を叩きながらあやしていた。 「春になったら、一緒に桜を見よう」  皆で、満開の桜を見よう。二人で、夜桜で乾杯しよう。学校で、弁当の横で桜を見よう。 「一瞬でもそれは永遠になる…」   一瞬で散っても、それは永遠に、心に焼き付く景色。 第二話 赤い車  土曜日の昼下がり、御形に呼び出されて、御形の寺の本堂に向かうと、そこに年配の夫婦が居た。俺の親よりも、やや年上のようだが、かなり疲れているようだった。  何故呼び出されたのか、話が分からず、本堂の端に腰を降ろすと、御形の父親が、夫婦に長く話しかけているのを聞いていた。夫婦の相談を聞いているらしいが、寺という特性から、霊に関する悩みのようだった。夫婦は、自分達で相談に来たのだが、中々話を切り出す事ができないようだった。  御形が入って来ると、俺の隣に腰を降ろした。 「息子さんが事故で、頭を打ち、目を覚まさないのだそうだ」  御形は、相談事項を事前に調べていたらしい。  俺は、医療はさっぱり分からない。風邪と、歯痛の区別もつかないと、よく直哉に言われている。 「でも、息子の友人達が、息子の車が走っているのを見かけたと、電話を掛けてきた」  一人ではなく、何人からも、電話がかかってきていた。息子はもちろん車に乗れない。しかも、息子の車は、エンジンが潰れる程の衝突だったので修理はできずに、その後、廃車にした。  息子の友人達に悪意はなく、皆、退院したのですか?と嬉しそうに聞いてきていた。見間違いと説明すると、とてもがっかりして、何度も謝ったりしていた。
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