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「いいの?いいってこと?」
いいに決まってんじゃん。何かしたいのか、その返事は。
「いいよ、なんか雨降りそうだし、雲めっちゃ分厚いし。」
「いや、今日はいいや。」
「だって、このまま帰るのもなんだし。トランペットが鳴らなきゃ俺だって…」
「トランペット?さっきの?上手そうだったよね、わかんないけど。」
「お前そういうの詳しいんじゃないの?ギターとか上手いじゃん。」
「別に詳しくないよ。ギターなんて兄貴に…いや……なんでもない。」
なんで黙るんだよ。兄貴の話なんて、普通にしてたじゃん。
あれ、岸の声って、こんなに小さかったっけ。
岸の兄貴がギターが弾けるというのは知っていた。それは、岸の見せてくれるその人の写真の一つから得た情報だった。
その写真にはギターの弦をまじまじと見る幼い岸の笑顔があり、
その無邪気な顔をやさしそうに見つめるその人の笑顔があった。
その写真が一番好きだったと教えてくれたのは、岸からその人がもうこの世にはいないという告白を聞いた夏の暑い日のことだった。
「兄ちゃんさ、もういないんだよ。」
岸は少し高めの声で言った。
今思えば、明るくその話題を切り出そうとしたのかとも思う。
「知ってるよ。」
とは、言えなかった。
その五文字の言葉を言うということは、俺がいつもその人の写真をどんな気持ちで見ていたかを知られてしまうような気がしたからだ。
「澤ちゃんに会う三カ月前くらいかな。体は昔から弱かったわけじゃなくてさ、突然死っていうやつ?いきなりなんだもん、俺もびっくりで涙なんて出なかったよ。」
岸の笑顔を見て、泣きそうになったのは、その時が初めてだった。
「でも、兄ちゃんってばなんとなくの予感はあったっぽくてさ。たまに言ってたたんだよ。“兄ちゃんよりも好きになる人がきっと現れるからね。”って。
最初何のことかわかんなくてさ。だって、兄ちゃんが一番好きなんだから、兄ちゃんがいたらそれで満足って思っちゃうじゃん。」
岸の声が震えている。その震えを止めることができない俺は、その話を頷いてあげることしかできなかった。
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