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「なんの話だ」
哲司の声がした。
それと同時に、首根っこを掴まれた西山田の身体は、宙に浮き、すぐに壁に叩きつけられる。
「ぎゃっ」
潰れたような呻き声をあげ、西山田は仰向けに倒れた。
身体を起こそうと、頭を上げた途端、西山田の顔には勢いよく拳が振り下ろされ、かけていた眼鏡がかわいた音をたてて地面に落ちる。
「…ひっ」
這いつくばり、逃げ出そうとする西山田の胸ぐらを掴み、哲司はもう一度拳を振り下ろした。
鈍い音がして、西山田の鼻から血が吹き出す。
「…やめ…」
言いかけたところにもう一発。
哲司は無言で西山田を殴りつけた。
さらにもう一度拳を振り上げた時、奥に倒れていた沙和子が、身体を折り曲げ、激しく咳き込んだ。
「沙和子!」
我に帰った哲司は、沙和子に駆け寄ると、彼女を抱き起す。
沙和子は咳き込みながら、肩で息をしていた。
名前を呼ばれ、薄っすらと目を開けると、沙和子は、哲司に向かって手を伸ばした。
細い指には所々傷ができ、爪の周りに血が滲んでいる。
人差し指の爪が、剥げかけてあらぬ方向を向いていた。
必死に抵抗したあとだ。
哲司はその痛々しい手を見ると、悔しそうに顔を歪めた。
自分に差し出された沙和子の手を、そっと掴む。
すると、沙和子は弱々しく微笑んだ。
「…もう、会えないのかと、思った…」
哲司は沙和子を抱きしめた。
長い黒髪は、壁や地面に擦り付けられたせいか、所々砂埃で白く汚れている。
「…ごめん、ごめんっ…怖かっただろ…ごめんな…」
哲司の手は、震えていた。沙和子の耳元で何度も謝る。
「どうして謝るの?…哲司さんは、何もしてないでしょう…」
沙和子は静かに目を閉じると、ゆっくりと自分の腕を持ち上げ、哲司の背中をぽんぽんと叩いた。
力が入らないせいか、ひどくゆっくりとした動きだったが、沙和子は何度も同じ動作を繰り返した。
「…大丈夫…来てくれたから…大丈夫…」
「うん…遅くなって、ごめんな…」
哲司はもう一度、沙和子を抱きしめる腕に力をこめた。
「…あんた、どこ行く気?」
氷のように鋭い声が響いて、哲司は声がした方を振り返る。
地面に這いつくばり、逃げ出そうとする西山田を、冷ややかな目で見下ろしながら、類が立っていた。
「これだけのことしておいて、逃げられるわけ、ないよね?」
「…ひ、もう、やめて…」
大量の鼻血を流しながら、西山田は尻を引き摺るようにして後ずさった。
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