第1章

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1、  洗剤を作って売る男    背の丈、180センチは有り、それにふさわしい体力、行動力をもち、それ以上に女を喜ばせる精力が異常に強い男というものと知り合いになった。  話が仕事に関係する以外は、次から次に女と親しくなり、それらの女から来てくれとか、こんな風に喜んだとか、言う話ばかりであったからである。こちらが別に聞くわけでもないのに、男の口から、そういう話が聞こえてくるのである。何が縁だったか、そこは忘れてしまったが、いつのまにか私達は知り合いになっていた。大分昔のことである。  特に教養などと呼ばれる様な知識を持ち合わせている様な男ではなったが、色々ビール等ちょっと飲みませんか、等と言われると、何と無くこの変わった男にわしは興味が有ったのか、相手の話を聞く破目になった。  ビールとは言うもののアルコールは好きではないらしく、コーフィーを大抵は頼む。見た目にはただ大男と言うだけで、口数は多いものの一見平凡な人間であった。    葛飾北斎は多くの広大な絵や浮世絵を書きながら、名前を変え、住まいを変え、書いた絵の中に散々いたずら書きもしながら、デッサンの教科書の様な物を書き残した。平凡な人間では当時の人から見ても、なかったに違いないが、自分はただ絵を書くのが好きな位な、感じで生きた男であったろう。  ついでに平賀源内は長崎で西洋知識や医学等も学び、ファラデーが見つけた電気を証明して見せたばかりか、石鹸(サボン)も作って使ったといわれる。高い油で作ったに違いないので、買う人はいなかったろう。  時代の先を行った男である。余り時代の先を行くと、大抵は受け入れられず、貧乏をする。恐らくそういう関係で、世の中に旨く生きていけず、大酒飲みになって身体をこわして、死んだのだろう。  おそらく菜種油と灰の上澄液を混ぜて、桶の中に沈んだ物を集めて石鹸の塊にしたのであろうから、原料だけから考えても高い値段になったであろう。  第二次大戦中でも洗濯用の石鹸は有った。わしも偶には使った。戦前に多く作った残りものであろう。荒っぽい感じの白い四角な塊で、触ると表面がざらざらしていて、手が荒れたものである。敗戦前後にはその様な、害のある石鹸さえ、田舎には無かった。
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