真実は一つじゃない

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謝罪にも考え方とコツがあると思います。   謝る事はしたくない、という方もいます。 なんとなく分かりますが、それはもったいない。   自分が正しくて、相手が間違っているのに謝るのは、そりゃ納得いきませんよね。   でも、自分も相手も正しいなら、良いじゃないですか。 あとはどっちが先に謝るかの問題です。 それはプライドの問題じゃなくて、 ただの見方の問題です。   例えば、サイコロは何角形に見えますか?   四角形?   四角形には見えませんよ、どこに目をつけてるんですかw   ・・・あ、見えますね。横からみたら。   ごめんなさい。言い過ぎました。謝ります。    ちなみに、私は六角形に見えますよ。斜めからシルエットを見てください。   ネ。   いえいえ、良いんですよ。 私の言い方の方が悪かったんですから。     そんな感じです。   誰にでも不快と怒りの間に距離があります。 不快の範囲の時に謝ると、大体の方が謝り返すものです。 「こっちも○○だった」と。 怒りにまでなると、簡単には収まりません。   それと、言い訳を長々として謝ったり、謝ってから言い訳をしたりするのは謝った事になりません。   また卑屈になったり、許しを願ったり、許されなくて怒るのも同じです。   謝罪は謝る事が目的であり、許す許さないは相手の勝手です。   そして美しい謝罪は、プライドを傷つけるものではなく、むしろ自分を高めるものだと思いますよ。
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