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あの晩の事は、いまだに私も時々夢だったのじゃないかと思う事がある。
翌日の白井さんはまったくいつも通りだったし、私もあの晩は病室に戻ってすぐ、まだ不思議な熱が体を駆け巡っていて……記憶がはっきりしなくって。
その時、目が見えなかったはずの私に目隠しというアイテムがなんだか不可思議で、しかも目が見えたのにまた目隠しされたのにも混乱して……
……正直に言ってしまうと病室に戻ったあと、もう一度だけ、私は白井さんと唇を交わしている。
車いすからベッドに戻してもらった、その流れでの、キス。
でも、体の内側から何かを奪われるみたいな。
子どもだった私にはちょっと大人すぎるキス……覚えているのはもう、そればかりで。
恥ずかしながら、私はその時、体中痺れたようになってしまって、ベットの上から動けずいつまでも放心していたくらいだ。
部屋を出るまで、目隠しは取らないでと合図された。
言われたとおり部屋を出る音がしてから、私は目隠しをとった。
そして、自分の膝に置かれている手紙に、自分の目が「見え」続けている事にまた、涙が止まらなくなった。
手紙にはこう書いてあった。
『あなた恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす』
……白井さんにもう一度だけ逢いたくて、行方を捜し始めたのが、早雲伯父にプロポーズされてすぐだから、5月初め頃の話。
でも、思っていた以上にその作業は大変だった。
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