1372人が本棚に入れています
本棚に追加
まず、頼りの蜷川病院が、すでに数年前に売り払われていて、名前も経営者も変わってしまっていたのには吃驚した。
かろうじて行方がつかめたのは、俊太郎先生の所在だけ。
俊太郎先生は、大先生が亡くなった後、病院も、病院の近くにあったご自分の部屋も、さらにその奥の村にあったという実家の家屋敷から山林まで、すべて処分して、東京で気ままに暮らしているらしいという事だった。
逢いに行きたいと話すと、何故だかすべての人に止められた。……逢わない方がいいと、何度もやんわりと諭された。
一体何があったのか知らないけれど、ここ数年の俊太郎先生を知る人たちからすると、俊太郎先生はもう誰に対しても分け隔てなく接してくれた、あの俊太郎先生ではなくなっているらしい。
詳しい話は、誰からも聞く事が出来なかった。
けれど、それで諦めるなんて、以前の私ならともかく、今の、「相沢蛍」ではあり得ない。
九死に一生を得て、得難い縁でたくさんの人に助けられて、私には、一つだけ確かに判ったことがある。
……私が進むと決めた道に、間違った選択肢なんてなくて。
もしやってみたいと思う事があるなら、そちらに迷わず手を伸ばしてみればいい。
私が何かを求めるとき、きっと、答えも私を求めている。
これはかなりの確率で間違いない。
だから、迷わず進んでみればいい。
きっとその先にあるものが、欲しかった『答え』。
***
……そういうわけで、私はいま、東京某所にある俊太郎先生のマンションの下にいる。
もちろん、これがこれから自分にどんな運命を運んでくるかなんて、ほんの少しも、知りもしないで。
最初のコメントを投稿しよう!