序章 「蛍の事情」

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 ……早雲伯父さんから、結婚してくれないかと言われたから。 伯父さんとは、二十ほども年が違う。  伯父は、芸術家らしく、ほんっとうに変わった人ではあるけれど、大切な芯は大きく一本通っていて、優しくて、強い。  いつも作務衣姿で、ぬぼぅとしていて、髪はぼさぼさのそれを後ろで面倒そうにひとくくりにしているし、髭だって目を離すとアッと言う間にぼうぼうだ。  でも、ぼさぼさの前髪の下は、いつも優しい熊のような目で、高校の運動会や進路相談の時は、散髪して髭も剃って、慣れないスーツまで買って参加してくれて。  ……私を養育者として引き取ってこの方、これまでそんな事を考えているそぶりも見せた事はなかった。  いつも、優しくて厳しい師匠のような人だと思っていた。  その伯父さんから、大学卒業にあわせて、自分のパートナーとしてこの先の人生を歩まないかと、そう言われた時には、目の前がぐるりと回った気がした。  もちろん、伯父の事は嫌いじゃない。  伯父にも覚悟のいった申し出だったろうと判るから、いい加減な返事では済まされない。そして、その申し出を聞いた後、平気な顔で一つ屋根の下に入れるほど、私も、度胸の据わった女じゃないのだ。  というか……いつから伯父さんがそんな気持ちで私を見ていたのか、そんな事を考え出すと、もう、なんだかたまらなく恥ずかしくて、いたたまれなくて。  とてもじゃないけれど、それまでと同じように伯父さんと話す事なんて、できそうになくて。  ……そういう事があって、急に昔の幼い恋が蘇ってきた。 白井さんに逢って、話がしたい。  急に何故かそう思ったのだ。  もしかしたら彼はもう他の誰かと結婚しているかもしれない。 むしろそうであってくれた方が心易い。  そうして、あの頃の思い出話などもしながら、叔父の申し出について相談に乗って欲しい。
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