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「宗くん、私ね、殺してほしいの」
彼女は僕の目の前で穏やかに微笑みながら言う。湯気を立てるマグカップをやわらかい手で包みながら。
「知ってる」
僕は青いクマがあしらわれているマグカップをやはり手で包みながら、何の抑揚もなく答える。
「一応理由を聞いた方がいい?」
「聞いてくれたらそれはとても嬉しいわ。話したい気分なの」
「うん、じゃあ、なんで?」
しばらくの沈黙がテーブルに落ちる。
ついこの間、やっぱりアナログがいいよねと笑って買った時計だけが秒刻みで音を立てていた。彼女はもうあの頃の顔をしない。
僕は知ってる。あの子はこの沈黙が好きなのだ。凍えるような人間の冷たさにも、世の中のあまりの薄情さにも似たこの沈黙が、たまらなく愛おしいという。
彼女のことを知ってる。好きな食べ物も、口癖も、お気に入りの景色も、とびきりの笑顔も、一生懸命生きてきたことも。そして一緒に住んでいる。そして、それでも僕は彼女を救えない。
「この世界に愛想が尽きたの」
「宗くんが嫌いなんじゃないの。でも、生きている人間のほとんどが嫌いなの。話さないとわからないのに話さないから。決めつけてかかるから。高を括るから。いい加減に生きるから。何もしないから。文句ばかり言う癖に、ね。」
「本当になにもできなくて仕方がないこともあるよ。あとは子どもも仕方がない。でも大抵の大人はそんな感じでしょう。大っ嫌い。」
「世界は愛で回っているとかいう戯言を信じている人とか、どういう頭の構造をしてるのかしら」
「感情の入る余地が全くないなんて、そんなことは全然言ってないの。それでも私の理論を言うと、みんな敬遠するようになる」
「何故正直に生きられないのかしら。何故他人を優先してしまうのかしら。何故自分を優先してしまうのかしら。何故相手の話を聞かないのかしら」
彼女は温くなったコーヒーに口をつける。
「ねえ、天使の翼は本当に白いかしら。雲の上は素敵な国なのかしら」
「夜になったら、素敵な星がたくさん輝いているのかしら」
そういった彼女の顔は、純粋無垢であることだけを辞められなかった、孤独な少女のそれのように見えた。
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