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「先生、そろそろ着きますよ。起きて下さいな。」
僕はまるでお人形のように眠る先生の耳元で囁いた。
もちろん、こんな生やさしい事で、この人が目を覚まさない事は知っている。
しかし、身体に触れ、揺さぶり起こすには抵抗がある。
僕の雇い主であるこの女性は、完璧なまでに美女である。
僕だって、この寝顔をずっと眺めていたいという衝動にかられるが、しかし、電車はいずれ目的地に到着することになっていて…無慈悲にも、あと数秒後には停まってしまうのである。
僕はすうっと息を吸い込む。
「先生ッ、暁先生!起きて下さいッ!!」
「んあ?」
先生はぼんやりと目を覚ますと、1度きょろきょろした。
「ここは?」
「電車の中ですよ。…ちなみに、何回乗り換えをしたか、覚えてらっしゃいます?」
実は、生まれてこのかた、電車に乗ったことのない先生だ。
席につくなり、この揺れ具合がいい、と寝てしまう始末。
「3回、だろ。心配するな。冬木とはぐれても帰れる。」
ふうん、一応覚えてたな。
「ほら、ボッとしてないで行くぞ。まったく世話が焼ける。」
どっちが!!
僕はその言葉を飲み込み、懐かしい故郷のプラットホームに降り立った。
ふわりと梅の香が漂う。
「いい香だ。また眠くなってきたぞ。」
あんたは、いつでもどこでも眠いんでしょうが!!
僕の知る限り、彼女はいつも眠っている。
箱入り娘と自分で言うわりに放任主義にしか見えないのだが、住居兼事務所のデスクの上で、いつも船を漕いでいる。
面倒だから、町の外には出ない。…今回は僕のたっての願いで、重い腰を上げてくれたわけだが。
過眠症なのか、眠ることが趣味なのか、定かではないが、彼女…暁未明(あかつきみめい)さんは、泣く子も黙る探偵である。
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