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嘘だ。
名前をしたためる彼を後ろから見ながら思う。
幸宏の元を訪れるものは皆、覚悟を決めてやってくる。忘れることなどできるはずがない。
けれど、湿っぽく送り出したくなくて、あえてそう言う。
託される本を手にする時、「預かるだけだから。必ず取りに来いよ」と告げる。
今日も同じことを繰り返すのだ。
……たまらない。
薄い茶で喉を潤した二人は箸にも棒にもかからない話題をかわし、話題がなくなって沈黙が訪れた頃に「じゃ、また」と言って後藤は膝を打った。
「ああ、そうだ」
玄関先で靴を履きながら後藤は言った。
「妹さん……」
「知子?」
「ああ。息災か」
「伯父の家でおとなしくしてるよ」
「ピアノは……まだ続けてるんだろうか」
驚いた。
兄ですら妹がピアノに堪能なことを時として忘れてしまうのに、彼は接してきた期間が短かったというのに覚えているのか。
そして、あ、と思った。
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