【3】戦争

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まだ幸宏がケンカに弱く、怪我をして帰る日が多かった頃、加勢はしないが妹をかばってくれる友がいた。 あれは……後藤だったではないか。 妹も大層懐いていて、兄のしようもない意地から、つまらなく思っていたのだっけ。 「時代が変わったら、音楽家として身を立てたかったと今でも言ってるよ」 「そうか。変わると……いいな」 「そうだな」 「彼女は、可愛かったな」 ぽつりとつぶやき、友は帰っていった。 必ず取りに来い。 窓から友人を見送りながら幸宏はつぶやく。 僕に消息を聞くのではなく、直接妹に会いに行け。 あの子もきっと覚えている、あんなに懐いていたのだもの。 戦争が終わったら。 その時、おそろしい考えが頭をよぎる。 もし、負けたら? 後の日本はどうなる。 平和な世になっているというのか? 負けがかさんでいるのは、新聞記事や公告を見る限り明らかだ。心あるものが読めば決して騙されない。 平穏無事に生きる世の到来を願うと勝利しかないのか。 わからない。 室内に目を転じ、所在なく並ぶ本を眺める。 手垢だらけで、何人の手を経て読み倒された本。 真新しくて、まさに半分ぐらいまで読み進められて、これ以上は時間がなくて読めないと、栞を挟んで置かれた本もあった。 どれにも遺していった者の想いがある。 時々、それらを眺め、沈思する。 読み手を待つ本は痛々しかった。 もっと読みたかったろうに。 誰も失われてはならない人たちだった。 残された思いを引き継ぐのは重い。 ページをめくるのも辛くて、預かった本は開けない。 不意に思い浮かんだ。 生き残った者には好むと好まざるとに関わらず責任が課せられる。 僕は。 彼らのような学生をもう二度と戦地に送り出したくない。 託した者の想いを全て抱えて、生きていくんだ。 けれど、それはとても重いことだね。 がたがたと、風が窓ガラスに吹きつけ、枠を鳴らしていた。 戦中郷里へ帰った時、後藤の話をしたら知子は「えっ」と言ったきりうつむいてしばらく顔を上げなかった。廊下にはぽたぽたと涙の滴が散っていた。
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