第3章:時計回りの時限装置

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 二兎を追う者は一兎をも得ないが、三兎を追った俺は一兎しか得なかった。だが、それで十分なのかもしれない。 「あの、大丈夫ですか」  同級生だと言うのに、敬語を交える律儀な姿勢が彼女から消えることはない。呆ける俺に声を掛ける彼女は、何と言う天使か。あやうく惚れかけた。 「ほら、言いなって」  郁美はもじもじする高畑さんを肘で小突いた。 「私、今は本当に反省しています。万引きの罪は消えないと思うけれど、せめて償おうと思っています。本屋さんには正直にワケを話しました。少しずつ、働いて返すつもりです」  ペコリともう一度、彼女は腰をくの字に曲げた。  最後に郁美がまとめた。 「ってことだから。千秋のやったことに関しては、ここだけの秘密ってことで良いかしら」 「もちろんだ」  良いではないか。俺は彼女たちの危機を救った。それで十分すぎる。郁美の言葉を借りれば、それで世はこともなしだ。  しかし、こともなくはない事案だってあることにはあった。というか、騒動が決着した今、直近の問題はそれだった。 「堀江になんて謝ろう。祐司に何て弁解しよう」  くどくどと繰り返す俺に、郁美がそっと囁いた。 「私が付き添ってあげるわよ、マスター!」  なるほど、郁美は感づいていたか、俺のペテンに。やけくそとかやさぐれとか投げやりとか、その辺の感情をひっくるめて俺は答えた。 「おう、頼む」
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