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いつからだろうか。
『クリーチャー』と『魔装士』の戦いを題材にした映画が数多く撮影され上映される事に影宮優斗(かげみや ゆうと)が違和感を抱くようになったのは。
最新のCG グラフィックを駆使し、緻密に再現された化け物は観る者を圧倒させるだけの完成度であった事に疑いの余地はない。
だが優斗の見たその手の映画は何故か人間の死ぬシーンが極端に少なかった。
そういう映画があってもいいとは思う。
だが誰かが死ぬ=感動的なんて図式は短絡的という他なく、個人的にも人の死はそれが例え小説のような創作作品であっても簡単に扱うべきではないと思っている。
ならばこの違和感は何処からくるのだろうかと考えた時、意外にもあっさりと答えは出てきた。
例えば霊能力者がホラー映画を観てどのような感想を抱くだろうか。
単純な作品としては楽しめるかもしれないが、真実を知るからこそ小さな矛盾点が心の底から拭えずに消化不良を起こしたりするのではないかと思う。
優斗が感じた違和感の正体はそれと同じである。
彼にはクリーチャーと戦える特別な力があったからこそ知っていた。
本物の戦場はあんなに綺麗ではない事を。
クリーチャーに殺されてもドラマは生まれない事を。
残された者の見せる本物の悲壮感は演技では絶対に表現できない事を。
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