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「洋はどこにおるの」
「いや、その……」
「連れてきます!」
言い終わる前に俺は校長室に走った。
「お前、」
洋は失望したふうでもなく、携帯をいじっていた。
「なぜ言わなかった」
「聞く気なかっただろうが」
「……悪かった……とにかく式だ! 」
「もういいよ」
「よくない! 」
何なんだよ、とつぶやく洋の腕を取り、会場へ小走りで戻った。
パーン!
再び観音開きの扉を開けると、一斉に視線がこちらに集中するのを感じた。
静まり返る場内。
「洋」 沈黙を破ったのはやはりフネばあちゃんだった。
「こっちきな、ネクタイ締めてやるから」
「自分でやるよ。ばーちゃん、足は?」
「んなもん、元バレー選手の私にはなんでもねえ」
「さっきは悲鳴上げてたくせに」
「お前、壇の下へ行け。段取りは知ってるだろ」
「1人でかあ? はずいよ」 抵抗するヤツの背中を押し、前を向かせた時。
パンパンパン! 突然大きな拍手が聞こえた。
フネばあちゃんだった。包帯した足を巡査に支えてもらって、立ち上がっている。
それに重なるように、パンパンパン、と拍手が重なった。今度は壇上のほうからだ。
……校長だった。
「ほら、壇の上で会うぞ」
会場の端を通って壇上に向かう耳に、パチパチパチとさざなみのように拍手が聞こえてきた。
振り返ると、通路を通り壇へ向かう洋を、両脇の来賓たちが次々に立ち上がって拍手で迎えている。
洋が壇の上にたどり着くころには、会場にいた全員が立ち上がっていた。
卒業証書を受け取り、握手のため俺の方に向かってくる洋。
一歩一歩近づいてくるヤツの姿をしっかり脳裏にとどめたいと思うのに、どうしても滲んでくる。
がしっ。
洋の手が俺の手を包んだ。
人の手がこれほどまでに暖かく力強いものだとは。
彼を疑った自分を心底恥じた。
壇を降りたとたん、俺たちを下級生のコーラスが包みこむ。
「人生はこのネクタイみたいなもんかもしれんな。少しくらい曲がっていても、ぴ、と引っ張って直せばいい。いや曲がっているのも個性かもしれん」
「何、数学教師が詩人になってんの」 呆れた顔で洋が応じた。
「ま、契約は終り、つーことだ」
「もうタバコはいらねえ」 そう言って洋が見せたのは、今日一番の笑顔だった。
Fin.
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