第1章

11/31
前へ
/31ページ
次へ
 寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七 難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約三㎞の仁井田明神の傍に建立したという。末寺七ヶ寺を持つ福圓 満寺が前身とされ、仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから仁井田寺と呼ばれていた。  弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間だという。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つに別け、それぞれの社に不動明王、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。  大師はさらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺らは七ヶ寺を合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。  天正時代には兵火等で寺社ともに一時衰退したが、明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏は岩本寺に統一された。それに伴う廃物希釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたが、少しづつ伽藍を整備し現在に至っている。  岩本寺を出たのが十時四十分だった。昼食には早すぎる。途中でドライブインがあればそこで摂ることにした。  深い山あいの道をゆっくりと走った。対向車はあまりなかった。たまにすれ違う車は地元の車だろう。道になれているのか、やけにぶっ飛ばしてくる。  どうやらドライブインはなさそうだった。二十㎞ほど走ると山あいが切れて、いきなり眼前に太平洋が開けた。満ち潮どきなのか、日差しに煌めきながら大きなうねりが寄せていた。  不思議な現象が起きていた。腹の虫が自棄気味に泣くのだった。歩いているときは起きなかったが、車に揺られたせいか腹の虫を刺激したらしい。  さらに五㎞ほど走ると交差点があった。その手前に土佐ユートピアカントリークラブの案内板が出ていた。雅宏は躊躇なくハンドルを右に切った。ゴルフ場のレストランで昼食を摂ろうと思ったのだ。特別なゴルフ場は別にして、一般の客でも食事することは出来る。   「あれ、方角が違ったようだけど?」  加奈子が不審そうにいった。 「腹の虫が喚いているんだ」 「それでゴルフ場へ……」 「ああ……」  高知県内のゴルフ場も二、三回プレーしたことがある。黒潮カントりークラブとか土佐カントりークラブだった。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加