第1章

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 黒潮カントリークラブで、夏場を通して行われていたイベントにカード提出して帰って来ていた。後日入賞の連絡があり、豪華なステレオが送られて来たりした。あれはたしか徳島市内の友人に誘われたゴルフ旅行だった。  ゴルフ場に着いた。二人は駐車場で遍路衣装と輪袈裟を外した。 「食事、出来ますか」  フロントで訊ねると「どうぞ」といって案内してくれた。レストランは空いていた。ハーフを終えて上がって来ていたグループだろうか、大声で笑っている。スコアを肴に一杯やっているのだろう。長閑な光景だ。  雅宏は焼き肉セットを注文し、加奈子は腹に軽めの盥(たらい)うどんセットを頼んだ。いつもとは真逆の注文だ。加奈子の体調はまだ本調子ではなさそうだ。 「雅宏さんは、ゴルフが好きなんだ」  加奈子が小声で笑いながらいった。 「これといった趣味がないものだから。ゴルフだけは誘われれば、ほいほい付いて行くよ」 「裏のゴルフ場へはよく行くのですか」 「月に四、五回です」 「一度行くといくらい掛かるのですか」 「平日しか行かないですから、食事ともで四千円程度です」 「私もゴルフ、しようかしら……」 「山歩きですよ。足腰は少しは強くなった気がしている。少し練習してから決めたほうがいい。向き不向きというのもあるしね」  取り留めのない会話をしているうちに、料理はなくなっていた。  車は黒潮町から四万十市に入り、四万十橋を渡ったところで、三叉路を左に折れた。そこから国道三百二十一号線になった。伊豆田トンネルを抜けると土佐清水市になった。  また海をかいま見ながら走り、以布利バイパスを抜けると県道三百四十八号線となった。足摺スカイラインだ。標高四百四十六㍍の白滝山の尾根伝いに走る、じぐざぐ道路だった。  この号線が切れる所に第三十八番札所金剛福寺がある。そこから先は県道二十七号線となる。  第三十八番札所金剛福寺は、四国の最南端足摺岬を見下ろす丘の中腹にあった。境内は十二万平方㍍を誇る大道場である。  弘法大師はその岬の突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地、補陀落の世界を感得したという。ときの嵯峨天皇に奉上、勅願により伽藍を建立、開創したと伝えられる。弘仁十三年弘法大師四十九歳のころといわれる。  岬は濃緑の樹海と白亜の灯台、断崖に砕ける波濤、観世音さんの浄土を連想そうさせられる。
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